・翌日の新聞を読んでいたら、歴代天皇124代のうち、生前に退位されたのが58人と
あり、一覧表が載っていた。で、そこの「退位の主な理由」欄を眺めていたら、
「彗星出現、飢饉」とあるのが目に入った。
・第86代後堀河天皇、退位年1232年だ。
・早速、手持ちの「日本天文資料綜覧」で探してみると、それらしい記述がありまし
た。それが下の画像。
貞永だ。懐かしい。ちなみに御成敗式目制定は、同年8月27日のようだ。
・「色赤白し」というのはピンとこないなあ。
・後堀河天皇の退位年月日は、1232 年 11月 17 日 、彗星の記述の1か月後。
結構すぐなんだ。
・HP検索したら、多分同じ彗星と思われる中国の記録が載ったレポートを発見。
野上 長俊氏 「彗星の古記録におけるダストテイルの記述」
1232 年 10 月 17 日
彗星見東方、色白、長丈余、彎曲如象牙、出角、軫南行、至十二日、長二丈、十六日月燭不見、二十七日五更復出東南、約長四丈余、至十月一日始滅、凡四十有八日。
<金史、天文、巻 20 頁 435>
彗星見東方、色白、長丈余、彎曲如象牙、出角、軫南行、至十二日、長二丈、十六日月燭不見、二十七日五更復出東南、約長四丈余、至十月一日始滅、凡四十有八日。
<金史、天文、巻 20 頁 435>
・オー、彎曲象牙の如しか、結構すごい彗星だったんだろう。
・こっちは、「色白」だ。
・彗星出現は、まあ理由のための理由だろうけど、退位の理由とされるくらい
インパクトのあるすごい彗星だったんだろう。
・ちなみに、もうひとつの理由の飢饉は、「寛喜の飢饉」(1230 ~ 1231)と
いうらしい。恥ずかしながら知らなかった。
・余談だが、「日本天文資料綜覧」は20年くらい前の東京勤務の際、神田神保町の
古本屋で買ったものだ。(当時のレシートが栞代わりになっていた。)